ももこの真理探求19 究極の悟りと宇宙

しかしそれは、言葉で表せない閃きのような深く、快い感覚であった。
そして地球に帰還してようやくその啓二である究極の悟を得たのである。
そう その悟りとは
人間の心の在りようが、万物の事象を決める答えだとする啓示だった。
勿論、万物の事象とは我々の宇宙創生までを含んでいると解釈できる。


つまり 究極の悟り(真理の理解)とは、脚下照顧とも言える
これは道元禅師が禅の極みとして、修行僧を諭した有名な金言で自分の
足元に人間の本性があることを諭している。
この脚下照顧の真髄は我々の宇宙全体、全生命にまで適用できる。
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1185年頃 鎌倉時代初期の禅僧 道元禅師は修行僧に
脚下照顧(きゃっかしょうこ )と諭した。
他に向かって悟りを追求せず、まず自分の本性をよく見つめよという戒めの語。
「脚下」は足元の意。転じて、本来の自分、自分自身。
「照顧」は反省し、よく考える、また、よくよく見る意。
出典:三省堂提供「新明解四字熟語辞典」
人間社会ではこの解釈で問題無いが、道元の啓示はもっと深遠なるところにある。
脚下とは足下=己の心の在りようで
照顧とは己の本性を見詰めよ そこに悟りの解があると説いているのだ。
つまり人間の個々の心の在りようが、万物創生の謎を解く唯一鍵となるのである。
事実シャッダイと名乗る異星人がそれに気が付くまでには数万年を要している。
それに比べても、人類は文明を発展させ始めてから たかだか1万年に満たない。
遺伝子レベルでは猿と大差ない人類がその難題は解けないのも無理ではない。
それでも宇宙創生の謎にあと一歩まで迫った人類は奇跡的な生物であると言える。
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人間で解釈すると
脚下=足元=人間の本性=心の在りよう
照顧=人間の真相をよくみつめ万物の真理を悟る
つまり全ての疑問の答えは 人類の本性に内存している
となるし 我々の宇宙全体で解釈すると
脚下=物理現象=宇宙の構造
照顧=宇宙の論理を突き詰め正しく真の宇宙物理を理解する
つまり宇宙が創生された理由は 宇宙の物理法則に内存しているとなる。
そして個人の悟りと、人類誕生の訳と宇宙物理の真の理解は同じものとなる。

これが究極の悟りであり それは、全ての事象と個人の境目、勿論 生も死も
在るも無いも境目がないことを心(真の宇宙物理)で理解する。
つまり全ての事象には境目が無く、無い事が在る事と同じと言える。

こうなるとまさに禅問答であるが
具体的にその事を繰り返し説いたのが般若心経の色即是空である。
色即是空とは 現代物理学の最先端の量子力学でいうエネルギーと物資の
一形態である波動は、なにもない真空の中でも空間のゆらぎにより生じるし
消滅もする、ゆえに空=無は物質であり物質は空でもあるという解釈である。

つまりエネルギーや物質は無の真空ゆのらぎから ほぼ無限に生み出せる。
現に我々の宇宙は真空ゆのらぎの一点から爆発的に誕生した。
ビッグバン2
20世紀後半ようやく人類は、科学により色即是空を理解し始めた。

このような現代物理学の見解(常識)は 般若心経の理解としても ほぼ正しい。
しかし
なぜ万物の事象は色即是空、空即是色なのか?
この答えは哲学、宗教、科学でも諸説あるが 未だに正答が示されてない。
そもそも宇宙の真理は、 現代の言語や定理、数式などで表現することは
2次元の絵画で立体画を描くのと同じことであり、立体を2次元の中で完全
に表現するのは不可能なのだ。

でもその答のヒントこそが脚下照顧であり、このヒントは2400年前に釈迦
が菩提樹の下で悟っていた。


勿論釈迦は実際にそう言ったのではなく、悟りで会得した内容を弟子たちに自身
の日常の行動を通して少しずつ学ばせていった。

弟子たちは釈迦の入滅後、それらの教えを体系化し仏教にまとめ上げ
西暦210年頃に 中国の玄奘がインドに留学して、サンスクリットの膨大な経典
を持ち帰り、釈迦の悟りの真髄としてを漢字化したのが般若心経である。

しかし般若心経を文字通り解釈しても言語明瞭、意味不明で まるで呪文のよう
なものであるため、西暦2020年なっても人類は、頭ではなんとなく理解できても
悟の真髄(真の宇宙物理)までは会得できてない。

余談ですが。
ももこ(私たち)の宇宙でも、あと330年くらい後の西暦2350年まで理解されな
いのですが、 なぜ現代のももこが 今それを断言できるのか?
その答えは ももこが時空を自在に行き来したからなのです。(うそ!)
ももこの宇宙で、西暦2350年に理解されるとすれば今それが解るのは未来の
確定となり矛盾しますね。でも大丈夫矛盾は無ないいのです!
前述の悟り(真理の理解)はあくまで ももこの宇宙でのことで今後生まれる別の
平行宇宙では別の展開になるだけなのです。

本題に戻りましょう。
人類誕生の謎は この宇宙になぜ人類が存在する必要があるのかと同じで究極
はなぜ 我々の宇宙は創生されたのかとの疑問に辿り着く。
その疑問の答えこそ 悟りの真髄なのだが、多くの情報に塗れた現代人には至難
の技なのである。

では無垢の子供ならどうだろう?
ドイツの作家ミヒャエル・エンデは1973年刊の『モモ』(Momo)で時間泥棒から
人類を守る救世主としてモモに生命の花 (悟りの一形態)を見せている。
ストーリーには、忙しさの中で生きることの意味を忘れてしまった人々に対する
警鐘として、時間(宇宙の)真髄を幼いモモに体験させる。
エンデが描く時間の正体は、モモの心の中に存在し同時に全宇宙と一体となり
大きく共鳴している。


それは大人の言語で表現するするよりも 無垢のこどもが直感する体験の
ほうが正確に感受するからかもしれない。
残念ながらこどもは、大人の言語でそれを表現できないし それ以前に大人
になると 無垢の直感力は退化し具体化された物しか見えなくなってしまう。
つまり悟りの真髄は
我欲という 煩悩に塗れた頭でいくら考えても答えは見い出せないのだ。

ミヒャエル・エンデは
禅や人智学の実践により真の悟りに近い感覚を得していた。
関連した著書では『はてしない物語』映画のネバーエンディング・ストーリーで
人間の本性や欲望(煩悩)をはてしない物語として表現している。
エンデの目的は自身の悟りを大衆へ分かり易く咀嚼して伝えたかったのだろう。


あの時代の科学では、 時間と空間とエネルギーは一体で直結している事
などの概念(現代の通説)は全く理解されていなかった。
やむなくエンデは子供向け童話で表現せさるを得なかったのである。

あれから1世紀、 現代の ももこがあえて最新の量子力学で究極の悟りと
宇宙の方程式の解だけを表現しようと試みた。
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