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甘美なる 祖母の浣腸 蝉時雨
さんだった、おばあさんにされていた高圧浣腸の思い出から、少年期そし
て現在に至るまでの心理変化の様子までを含めた浣腸物語です。
すでに昭 和 浣 腸 処 置 室さんのブログには、その詳細記事がありますが
ここでは、SKさんを便秘しやすい男の子として、ももこが勝手に妄想を膨ら
ませて進めていきますので、掲載中やその後でもいつでも変更は可能です。
SKさん内容の訂正注文などは、こちらのコメント欄にお願いしますね❤
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SKの祖母は、戦時中には従軍看護婦も務めた腕利きの元看護婦である。
「お義母さん、Kが寝冷えしたらしく、この3日間お通じがないんです」
「あら心配ね、それなら浣腸を掛けたらいいのに」
「私がKに浣腸しようと言うと、嫌がって逃げ廻り手に負えないんです
お義母さん、またお願い出来ないでしょうか?」
SKの母は、自分でも出来ないことはないが、義母との良い関係を保つ手段
として、SKへの浣腸はいつも義母を頼りにしていた。

義母も、若くして嫁いできたSKの母に頼られ、可愛い孫のSKに浣腸する
度に、祖母として手助け出来る誇りと幸せを感じていた。
SKも母に浣腸される時は、逃げ廻り母を困らせたが、祖母の優しく厳しい
浣腸には素直に従っていた。
「Kちゃん、もう三日も出てないんでしょ、おばあちゃんが浣腸で楽にして
あげるからね」
「やだやだー 浣腸なんてやだー自分で出せるってばー」
「我儘はだめよ、早く出さないともっと大きな浣腸を掛けることになるのよ
N子さん(SKの母)急いで石鹼浣腸液を用意して 温度は40℃でね」
「分かりました、お義母さん量はどのくらいにしましょうか?」
「そうね、多めの方がいいので500ccでいいわ」
「Kちゃん、ここにいらっしゃい、いまから浣腸しますからね、パンツを脱い
だら仰向けになって両手で膝小僧を抱えてね、そうそうお利巧さんねー」

SKにとって、浣腸の辛さよりも祖母に褒められることのほうが嬉しかった。
その間に母は、500ccの硝子製イルリガートルに、薬用石鹸を溶かした
浣腸液を用意してスタンドに下げて持ってきた。
記憶にある初めての浣腸の時は、そのイルリガートルはSKの太腿よりも
太く、世にも恐ろしい器具に見え、注入する前から大泣きしたものである。
しかし、排泄後の爽快感や、浣腸前後の母と祖母の優しい気遣いに、怖
いけどまたされたい様な、甘苦い処置として幼い心の内に刻まれていた。
SKは肛門から大腸の中に流入してくる生暖かい液体を、初めは気持ちい
いと感じたが、120ccも入る頃には強烈な便意で我慢出来ずにすぐに
「やめてー おばあちゃん やめてーでるうーでるううう」
と泣き叫んだが、母と祖母は経験上SKの限界を充分に把握しており
「Kちゃん、あとすこし頑張って、男の子でしょ 頑張って」
と言うだけで浣腸液の注入を止める事はなかった。
やがて250ccも入ると大腸が膨らみ、お腹全体が痛くなってきた。
「やめてー お腹痛ーい やめてー」
「Kちゃん、あとほんのすこしよ、頑張れ頑張れ」
と言いながら350ccほど注入したところで
「Kちゃん、偉いねー あと120数えてから出そうね」
と言って浣腸カテーテルを抜くと、優しくお腹の上からマッサージをしてくれた。
SKは、強烈な便意と、辛い腹痛と必死に戦いながら、母と一緒に120まで
数えると母が用意した、古い新聞紙が敷かれたオマルに泣きながら排泄した。
排泄を終えると、母はいつもSKの額に滲んだ汗を、木綿生地の手ぬぐいで
優しく拭いてくれながら
「Kちゃん、偉かったねー ほらーもうすっきしたでしょ」
と言いいながらSKの肛門と、その周辺を湿ったタオルで拭いてくれた。
縁側の向こうでは、ミンミンゼミの蝉時雨が降り注ぐ蒸し暑い夏の日だった。
そしてSKの潜在意識に、究極の愛情感受として蝉時雨と共に深く刻まれた。
それから数日過ぎたある日のこと
「あらN子さん(SKの母)顔色悪いわね、それに吹き出物もあるわ
もしかして便秘してるの?何日出てないの?」
と元看護婦らしく鋭く質問されたので、N子(SKの母)は咄嗟の嘘もつけず
「あのうー 4日ほどお通じがないんです いっいえ大丈夫ですから」
と正直に言ってしまって慌てて訂正しようとしたがもう遅い。
「まー それはいけないわ、すぐに浣腸を掛けましょう」
「いえ お義母さん 大丈夫ですから、ご心配には及びませんわ」
「なに言ってるの、便秘は浣腸で出すのが一番なのは良く知っているでしょ
さあ、私が浣腸してあげるからここに横になってなさい」
と有無も言わせぬ迫力で義母は浣腸道具を取りに行った。
N子(SKの母)にとって、これは初めて浣腸であり、しかも義母がしてくれる
のはいつもSKにしている、500ccのイルリガートルでの高圧浣腸なのだ。
{困ったわ 嫌とはいえないし 500ccも浣腸されると途中で漏らしそうだし}
N子(SKの母)がそうこうと悩んでいる間にも、義母は楽しそうに高圧浣腸の
用意を進めている。
「あのー お義母さん 本当に私一人で出来ますので・・・」
「あらN子さん恥ずかしいの?Kちゃんのお産のときも浣腸したでしょ
身内なんだから遠慮しなくてもいいのよ」
と義母は冷たい笑みを浮かべた。
立秋を過ぎても屋外ではジージーと蝉時雨が降り注ぐ暑い日のことだった。
「さあN子さん恥ずかしがらず横になって・・・ そうパンツを下げますよー」

「管を入れるから、お尻の力を抜いてー 浣腸液を入れますよー」
「ひっ うううー・・・」
N子は、Kの出産の時に100ccのグリセリン浣腸をされた経験はあるもの
の、便秘での高圧浣腸500ccは初めての経験なのだ。
生ぬるい石鹸浣腸液が大量に直腸に流入する感触は、ほんの数秒間は気
持ち良いと感じたが、すぐに強烈な便意に襲われた。
「ああうううー・・・お義母さん漏れそうです もう許してください」
「だめよKちゃんにはいつも、この数倍にも相当する量を注入して、2分間は
我慢させているでしょ たった500ccだから堪えなさい」
義母の厳しい指摘は一理あるが、高圧浣腸が初めてのN子には残酷極まり
ない仕打ちに思えた。
「お義母さんおっしゃる通りなんですが 本当にもう漏れそうなんです」
「しょうがないわね じゃー300ccで許してあげるから我慢しなさい」
と言いながら義母は浣腸液の注入を止めることはなかった。
{ううー・・・出る出るううう お腹痛いーーーーもういやあああーー}
と声を出して叫びたかったが、義母の前ではそんな見苦しい態は見せられない
N子は、この拷問のような高圧浣腸を必死で堪えた。
「さあN子さん、300cc入ったから管を抜きますよ、このままで2分我慢ね」
と言って義母は、N子の肛門の上からちり紙で強く圧迫した。
すると強烈な便意は有るものの、不思議と漏れることはなかった。
しかしその苦痛たるや120秒が10分にも思えるほど長く苦しい時間に思えた。
{ああああーーー出る出るうううーーー お腹痛いいいいーー}
{ううううう あと10秒 9 8・・・5・・・・・ゼロ}
「はいN子さん、よく2分我慢できたわ、おトイレまで歩ける?歩けそうにないなら
そこのオマルに出しなさい」
「いえ お義母さん大丈夫です、歩いておトイレまで行けますので」
と言って気丈に立ち上がったが、たった数歩も歩けそうにない。
N子は肛門を片手で押さえながら、近くのオマルまでよちよち歩いてすぐにオマル
を跨ぐと、義母が見守る中で羞恥の排泄姿を晒すしかなかった。
{ああいやーー恥ずかしいーーでも気持ちいい!ーーなっなんなのこの快感!}
それはN子が初めて体験する変態的な得も言われぬ奇妙な羞恥の快感だった。
義母は、そんなN子の表情を見逃す筈もなく、怪しい微笑を浮かべて見ていた。
{やっぱりそうだわ、N子さんもわたしと同じ性癖の持ち主のようね、Kちゃんに
遺伝したのも、当然の節理と言うものね、うふふ・・・・・}
なんと義母は、孫のSKとその母であるN子の性癖を、自分の性癖に照らして数年
も前から見抜いていたのだった。


昭和初期 家で医院で すぐ浣腸
こうのように今から約60年前の1960年代まで、家庭でも
医院でも浣腸は普通に処置されていたようです。
看護学雑誌 11巻3号 (1952年3月)
浣腸
発行日 1952年3月15日
その他1
看護学雑誌 20巻4号 (1956年10月)
浣腸
発行日 1956年10月15日
看護学雑誌 29巻8号 (1965年8月)
高圧石けん浣腸について
発行日 2000年10月25日



夏空に 訪ねし医院 受浣腸
- Hさんのつい先日の浣腸記です。ももこが多少加筆して掲載しました。
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昨日は、以前浣腸して貰った消化器内科を便秘5日目に受診し久しぶり
にケンエーG120㎖浣腸をされました。
今回は昼前に受診したのですが、前回とは別の看護婦さんの問診が先に
あり「便秘で5日間出ていません」と伝えると
「それは辛いわね、すぐに出した方がいい?」って聞かれましたのですこし
間をおいて「お願いします」と返答しました。
待合室で暫く待っていると、診察室に呼ばれて院長先生の問診があり先生
は、すぐに看護婦さんに「浣腸120お願いします」と指示しました。
診察室前の長椅子で待ってると、先ほど問診した看護婦さんが防水カバー
の前掛けをして現れて前回と同じ内視鏡室に案内されました。
この病院では内視鏡室の中に浣腸用ベッドがあり、そのベットに横になった
姿勢で浣腸されます。
「左下の体位で横になっておズボンを下げくださいね」
と言われ横になると、すぐに腰の上にバスタオルをかけてくれました。
そのまま暫く待っていると看護婦さんは、ケンエーG120㎖浣腸の管にゼリー
を塗っています。
用意が出来ると看護婦さんは「失礼しまーす」とバスタオルをまくり「パンツも
下げて下さいね」って言われたので「えっ」と思いながら自分でパンツを下げ
ましたが、下げている最中に「くだを入れますよ」って言われ、おしり全部が出
る前に管を入れられました。
以前の看護婦さんは「汚れるといけないので膝までおろしますね」などと、気
を利かせてくれましたが、この看護婦さんはいきなりの挿入でビックリしている
と「痛くない?」って聞かれたので、戸惑いながら「はい」と答えると「液を入れ
ますよ」と浣腸液を入れ始めました。
途中で「大丈夫ですか?」 「今半分入ったので後半分ですよ」と言いながら
注入していき、また「大丈夫ですか?我慢できますか?」と聞かれます。
「はい」と答えると、全部注入されて浣腸の管を抜かれました。
浣腸を終え「我慢出来そう?」って聞かれて「はい」と答えると
「パンツとおズボンを上げて下さい」と言われて、自分でズボンを上げると
「トイレに行きましょう」と外のトイレまで案内され
「出たら確認するので流さないで呼んでね」と言われたので「はい」と答えて
便座に座りました。
ところが排泄し始めてから、トイレの鍵をかけ忘れたのを気付いたのですが
もう止まりません。
そのまま排泄を続けたのですが、途中で誰かに開けられはしないか気が気
ではありませんでした。
排泄を終え呼び出しボタンを押すと、 先程浣腸してくれた看護婦さんが来て
しっかり確認すると「スッキリしました?」と聞かれ「はい」と答えると
院長先生からも同じ様に聞かれて、今回は下剤の処方は無しで終わり身も
心もスッキリとして、感謝の気分で病院をあとにしました。
今回は、前回とは別の看護婦さんに浣腸して貰って感じたのは、浣腸をする
看護婦さんによって浣腸の仕方が様々だなと改めて思いました。
前回の看護婦さんは、まさしく理想的な浣腸の仕方をする看護婦さんでした
が、今回はパンツを下げるのは自分でやらせるし、まだおしりが少ししか出て
いないのに急かすように「くだ入れますよ」と浣腸し始める。 またおしりに直接
ゼリーを塗ったり、指入をれて確認することもありませんでした。
反面浣腸液を入れ始めてからの丁寧な声掛け気遣いには感心しました。
このことから感じたのは、浣腸する看護婦さんによって千差万別で、様々な仕
方があるものだなと今更ながら感じさせられました。
個人的には、ももこさんの「患者から見た医療浣腸の実際」理想的な浣腸にあ
ったように、パンツを下げるのは自身ではなく看護婦さんが下げてくれる、浣腸
入れる前には、おしりにゼリーを直接塗ったついでに、そのままおしりの中の方
まで指を入れて触診する方がより好ましいと感じた体験でした。
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Hさん新鮮な体験談をありがとうございました。
ももこも、Hさんの体験談で妄想を膨らませ疑似体験させて頂いております。
次回の体験談も期待してます。


昭和では 浣腸多用も ごく自然?
- 浣腸のすすめより抜粋
ちなみにこの文献が出された1964年は、東京オリンピックが開催された記念
すべき年です。
浣腸は排便を促すものであるが,これが診断の助けともなり,治療に役立つ
ものであればこれほどありがたいものはない。
浣腸剤としてグリセリン,薬用石ケン,オレーフ油,重曹,食塩などが用いら
れている。
私は主として食塩を用い,他にはグリセリンを使用するのみである。
500cc入りのイルリガートルに、2mのゴム管と先にエボナイト製肛門挿入管
(約5〜6cm)を連結する。
42℃,2%食塩水500ccでこのイルリガートルに充たす。
患者を側臥位にして下肢を軽く屈曲せしめ肛門にワセリンを塗布,ガートル
を1.5m高さに保持して肛門挿入管を静かに肛門内に3〜4cm挿入,食塩水
を注入する。
温度が下らないように速やかに注入するが、急激に行なうと失禁することも
あるので注入時ゴム管を片手でおさえて速度を加減する。
患者は300cc入ると、だれもが軽い排便感が起こるが,そのまま注入をつ
づけ便意促追がつよく患者が我慢しえないというまで注入する。
その後,ただちに排便させる。
成人であればこの食塩水の直腸許容注入量は男女ともに平均420ccである。
昭和初期にはこんな高圧浣腸場面が自然展開された良き時代でした!?


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